GIGEKI -short conte-

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2007年05月

SPEED新メンバー

 熱帯夜

 新メンバーやる気ありすぎだが、時折旧メンバーに溶け込むのがすげぇ。

また麻雀

 「麻雀できるんでしょ? やろうぜ」

 またネギ背負った鴨が鍋とカセットコンロ持参でやってきた。お小遣いお小遣いと思う一方で、やっぱり1日限りだと負ける可能性があるってのが怖いなぁと思いつつ。

 4回で2?1?1?1着。今回は完全に一人浮き。前回より大きいプラス。前回とのトータルで9半荘で1着6回・2着2回・3着1回はできすぎかも。

 麻雀って実力差があったところでこんなに偏るもんでもない種類のギャンブルだと思うんだけども。

 ま、場代とその後にさらに何人か合流しての飲み会で勝ち分は半分くらいになったんだけどね。


 ちょっと考えようとも思ってるが。お小遣い制で堅実派の私にとっては、ここ3週間ほどの麻雀→競馬→麻雀での勝利(と外出に伴う飲食代のマイナス分)は、ちょいとばっかし出入りが激しすぎる。

 簡単に言えば、勝ってるから回っているだけで負けてたら回ってないってこと。ま、勝てる勝負だと思ってるからなんだかんだでやってるんだけど、それでも負けることがあるのがギャンブルなわけで。

 それに勝てる勝負ったって、ぶっちゃけ労力が結構。正直なとこ競馬の予想するのも麻雀するのも相当にしんどいのよね。呼吸するがごとくで生活の軸においていた時期でさえ結構きついと思ってたのに、離れ気味の現状では終わったあとは疲労感が半端じゃない。

 んでもっと言えば自分でも手抜きしてる部分があるってのを分かってやってたり。そういう手抜きが負けに繋がる可能性をビックリするくらい高めてるってのも分かってて。

 この辺のぬるさを持ったままギャンブルなんかに手を出したら、いつか怪我する。それがギャンブルだ。どんなに安いレートでやっててもね。

 こんなんじゃ1ヶ月に1回くらいかね。リスク考えても。

亀田の試合

 相手との力差がハッキリと。

 そう思ってたらテレビつけてたのに気付いたら見てなくて。気付いたら試合終わってて。歌謡ショウを始めるのは次男だったっけなと思ったところで。

 フサイチダイチャンは本気で勘弁してほしい。

放置してしばらく

 CLANNADを放置してしばらく。どんくらいかな。一週間くらいかな。

 AFTER STORYが出てきて放置している。なんつーかもうアレだ、どう考えてもAIRでいうSUMMER?AIR編と同じで、keyが本気出してるに違いないって思えて。ゆっくり時間取れるときにゆっくりやろうと思っているうちに。

 何よりもアレだ、2週続けて週末にイレギュラーで予定が入ったのが大きい。麻雀に競馬に。自分のペースを作れずにCLANNADにも手を出せずに過ごしているところだ。

 ちなみに競馬で勝てたので資金もできちゃって、また今週土曜日も誘われた麻雀に行くことになっている。しかもその後はさらに人間が集まって飲み会とかなんとか。1日に2つ以上の予定を消化するのは苦手なんで、今からちょっと気が重い。これはもう持病みたいなもん。


 しかし麻雀ねぇ。競馬とかのギャンブルと違って仲間内での奪い合いって構造なだけにねぇ。打てる相手となら純粋に楽しいし勝った負けたの結果についても自分の中で受け止められるんだが。

 正直なんだこりゃな相手と麻雀して、勝ったとしても申し訳ないし負けたとしたら完全に運以外の何物でもないだろって思うし(いや負けないけど)。場代払ってトントンくらいの結果が一番気楽かなぁ。でも大したことないって思われるのもシャクだしなぁ。

 ってかね、3枚以上格下の相手とやったら勝てるかどうか分からないってのが麻雀ってゲームじゃない。それだけに不安があるのよね、ホント。自分の手に集中して押し引きのバランスをちゃんとするだけで何とかなるとは思っているけど。それでも不安が消えるわけでもなし。競馬分を吐き出さないようになんとか。

 ま、ゴールデンダリアのダービーの前日に私が負けてる場合じゃないので本気で勝ちに行くけど。ちょうど雀荘の1階がメガネスーパーだから、私が負けてゴールデンダリアも負けたりしたらなんか責任感じてしまうんでね。


 CLANNADは……平日にちょろちょろ進めることにしようかなぁ。じゃないといつまで経っても終わらないもんなぁ。

熱帯夜

 SPEEDファンです。ご存知の通り。

 SPEEDの隠れた名曲として有名って意味が全然分からん日本語だが、とにかく位置付けとしてはミスチルのOVERとかスピッツの愛のことばとかそういう感じの曲として、熱帯夜って曲があるわけでして。

 ファンの間でも人気は高く、またファン以外でもこの曲が好きと言ってくれる人もいたりするような、やっぱり日本語にすると隠れた名曲として有名な曲があるわけだ。

 私自身はこの曲はそこまで好きってわけじゃなかったりするが。初期から中期にかけてだとRAKUGAKIとかI Rememberとかその辺が好きだったり。

 ま、私の好みは置いといて。熱帯夜に限らずSPEEDの曲はたとえヘタクソでもSPEEDが歌うのが一番だと思っている私で。そんな私が、SPEEDの曲をSPEED以外の人が歌って原曲越えたと初めて思わされたわけだ。

 いや、これは原曲超えてますってば。


 熱帯夜

3年ぶりの実戦はショックばかりが

 昨日ダイソーに工具を買いに行った時のこと。とんでもなくカワイイ子を目撃。

 市川由衣をマイルドにしたような顔立ちで、身長はヒールのある靴を履いた状態で女房と同じくらいと完璧。

 目が合った瞬間はホントにドキッとして、一目惚れしようかどうか迷ったくらい。女房も一緒に買い物に来ていたから一目惚れするのはやめといたけど、一緒にいなかったらそりゃまた違うルートに入っていたかも。

 ま、こうやって人はチャンスを逃していくんでしょうね。


 さて。先日。久々に麻雀を。職場の人間と。

 最後に麻雀牌を触ったのは2004年の秋口くらいだったか。雀荘時代の人間と久々に顔をあわせて、そのまま雀荘へ。それ以来だから3年近く触ってなかったことになる。しかもその前も半年近くブランクがあったり。

 とにかく久々の麻雀。そして雀力もクセも分からない相手。とにかく緊張した。

 2年間麻雀漬けの日々を送っていた時に一気に色々な知識・技術を詰め込んで、呼吸をするように麻雀をしていた人間が、3年のブランクをもって実戦へ。今の自分の雀力も分からなければ、相手の姿も分からない。いざ始まったとして相手の力が測れるかどうかも分からない。こんなに怖いことはない。

 2,3日前から脳みそを麻雀モードに切り替えようと色々やったものの、そもそも麻雀モードが思い出せないのだからどうしようもない。仕方なく点数計算関係を覚えているかチェックして、あとは基本的な手役の特性を復習だけして実戦へ向かったのだが。

 あんなんドンジャラだよ。

 結果は半荘5回で1?1?1?2?3とチップ含めたら一人浮きに近いもんだった。

 ただ。あれは麻雀じゃねぇ。メンツのレベルも酷かったが、自分がやってたのもただの絵合わせだ。ちょっと牌理を分かってる人間がただ絵合わせしただけ。

 まず牌が手につかないから、意識が手元に取られる。これが痛い。情報を集めるために全力が注げない。そりゃ余裕もなくなる。

 その情報収集能力自体も尋常じゃなく低下。とにかく視界が狭くなっていた。相手の目線を追う余裕なんてまったくなく、手出しツモ切りもほとんどチェックできず。また、自分の有効牌の残り枚数チェックもできてないから、牌効率の精度も低すぎて話にならない。

 んで、分かっていたけど一番響いたのは、情報処理能力の低下。入ってきた情報が意味するものが全然出てこない。例えば2順目に手出しで3筒、3順目に手出しで9萬という情報があったとして、そこから導き出せる手牌の形のパターンが何ひとつ浮かび上がらず。そこで何も浮かばないのだから、その後の手出しを見ても絞り切れず。そうなると相手の手の中にある牌が分からない=山に残ってる牌が分からないから、自分の手の進行にも影響。

 そしてリーチをかけられてから時間を取って読もうにも、今度は手出しの見落としが致命的で結局絞りきれない。最終的には自分の手格好と河で見えている枚数だけで行くか行かないかを決めてしまうことしかできず。結局はただの殴り合い。絵合わせ。

 正直、メンツが軽かったから成績は良かったものの。ちょいと反省すべき点が多すぎて。でも振り返ろうにも状況が覚えておけないわけで。この辺がホント麻雀脳じゃなくなってるなぁと。

 なんというか、アレなんですよ。衰えを知るってのはショックじゃん? ってお話ですよ。

 アレ? 俺、こんなにできんのん? って実感するのってきつい。ましてやあれだけ時間をつぎ込んで勉強もした麻雀だ。雀荘時代の2年間が否定されたようでショックは大きかった。あの雀荘時代が否定されるということは理(以下自粛

 ……ハンゲームの麻雀でもやろかなぁ。

CLANNAD:方程式

 ヴィクトリアマイルにフジキセキ産駒が3頭出しということでニヤニヤが止まらない今日この頃ですが、なんとか1頭は掲示板となってほしいところです的な私ですが、いい感じに日本語が不自由になってきました。


 久々の方程式。そりゃ涙腺も刺激されるわ。そんなシナリオな風子。

 なんというか筆力とは全然違うのよね。表現力でもない。演出力。この物語をどのメディアでやるのが正解かって言われたらこれが正解だろって思わせる素晴らしい演出。

 漫画じゃ展開のスピード感が損なわれる、アニメじゃあざとい感じがする。この形式だからこそ涙腺がやる気を出してしまうわけで。

 そんでもってやっぱり音楽ね。AIRの青空の使い方も反則だったけど、このAnaって曲も使い方が卑怯。なんというかもう方程式なわけで。分かっていても抗えないみたいなそういうのは卑怯。

 しかし設定がなんというか驚いたというか。こういう風に存在しない存在であることをあれだけ早い段階で受け入れさせておいて、それでいてそれを前提に話を進めていくってのは見事なファンタジー。

 あれだけ当たり前に堂々とされてしまうと、リアリティがないとかってこっちが引いてしまうこともなく、それありきで入り込めるわけで。そうしておいて、そういう設定だからできるってのを全力でやりまくるってのはうまさがビンビンです。

 だからって他のシナリオを否定しかねないというか、全体バランスをぶっ壊しかねない存在の風子はホントに不思議な位置にあるキャラだなぁ、と。あゆなんかはもうKanonという作品全体の支柱に据えてあるキャラで、かつ作品全体がそういう世界観の下に繰り広げられるという構造があったのでその存在は許されるものだったが、CLANNADにおける風子の存在はホント微妙な位置付けだと思う。

 そしてそのキャラの物語でこれぞkeyと言いたくなるようなパンチを持ってくるんだからたまらん。裏切らないね。

 でもこの方程式は裏切らない感に溢れていながら、このシナリオ内においてもCLANNADで表現したかったものという視点からするとあくまでもおまけになっているというのがまた。てかこのシナリオ自体がそもそも傍流と言うべきかもしれない。いや、それはもう設定云々の話じゃないかもしれないし、結局は設定が気になってるだけなのかもしれないし、なんか日本語にする作業が面倒だからこんな表現にしておくけど。

 keyは裏切らないけど裏切ってる。多分だけど。ファンが求めているものから遠ざかってる作品、それがCLANNADな気が。ここまで進めてきてのぼんやりとした感想だけど。

 個人的には評価高いとこなんだけど、信者は嬉しくなかった作品なのかもな、と。なんとなーくだけどねー。


 こういうのはちゃんと最後までやってから言わないと恥をかきそうだけど。

CLANNAD:吹いた2

 坂上と言われて二郎を思い浮かべる世代ではない私ですが、ぜひともダービーではゴールデンダリアを応援していただきたいと思っている今日この頃いかがお過ごしですか。


 8つ終わった。どうも日が落ちてからでないとやる気になれないのでペースが上がらない。それもまたこういうゲームの特性か。

 智代はいいですね。ホント。

 とりあえずここまでのはみんな脇役だからというか、まあ別にそれでもって感じで過ぎてるところはあるが。AIRを思い出すにまだまだ全体を語る段階でもないよなぁとは思っているんだが。

 個人的にはシナリオ自体はどれもこれもいいよねって感じの評価で。良くも悪くもその域をなかなか抜け出ない。キャラ自体にここまで気持ち傾くとは思わなかったなぁってのはあるんで、相変わらずkeyはすげーなーって思う次第ではあるものの。

 それより何より改めてタイトル画面で使われている音楽が。Kanonもそうだったし、音楽なしのAIRもそうだったけど、ひとつのシナリオ終わらせる度にこの画面に戻ってくるってことを計算し尽くしてる音楽だよなぁ、と。

 逆に考えれば、こんなに優しい曲が使われている作品だということで、そこにあるもの、感じ取ってほしいと製作者側が考えていそうなもの、平たく言えばテーマってやつですか。それについて改めてね。

 分かってるつもりだったけども、額面通りのその言葉に固執していて脳みそ硬直していたのは自分でもいただけないなぁと今更ながら反省。智代シナリオ終わらせてタイトル画面の音楽聴きながら、煙草の煙を眺めつつ。

 そんなことはもう知ってたはずなのにね。知らなければあんな恋もしなかったし、いま横に女房がいることもなかったわけで。

 年を取ったわけじゃないんだなと気付かせてもらえただけでもよかったかな。

 好きな人に、一緒にいたい人に、さようならって言うのはきついよね。それでも譲れないものがある時ってのはあるもんで、それが人生なんだけども。

 しっかし主人公くんの扱いがよう分からん。全部やれば少しは分かるようになるんかなぁ。てか智代シナリオについてはもっとなんつーかなぁ。智代アフターってのがいったいどういう位置付けのどういう意味合いを持った作品なんか知らんけど、このシナリオというか関係性はもっともっともっともっとちゃんと作ってもいいと思う。それこそCLANNADのメインに据えてもいいのかも知れないなと思えるくらいに。 

 智代だけはまたもう一度やってみてもいいかもしれん。そう思う。まったく別の意味で杏もやってみてもいいなぁと思ってたりするけど。


 智代・杏>ことみ・美佐枝>春原>椋・勝平・有紀寧

CLANNAD:吹いた

 杏と言えば車椅子の杏子さんを思い出す私は先日誕生日を迎えました。確実におっさんに近づいております。ちなみに肌着はU首のおっさん肌着を愛用しています。


 ということでこれで5つ目終了。5つ目で初めて吹いた。少々のことじゃおじさん動じないぞと思いながら進めているにも関わらず、遂に吹かされてしまったことに改めてkeyの引き込み力の凄さを感じたり。

 杏はいいですね。ホント。

 ただシナリオに関しては少々意外というか。少なくともエピローグで姉妹であることをもう少し回収するんじゃないかと踏んでいただけに。ま、こっちが勝手に『CLANNAD』ってことで構えてしまっていたから拍子抜けしただけかも。

 いやでもやっぱりなんつーか終盤でもっとなんつーかね、姉妹だから恋愛云々絡むと難しいよねってだけじゃなくて、姉妹の絆の部分をもう少しなんかあったんじゃないかなーと思わなくもない。その強さに朋也くんが圧倒されるような、そんな展開。

 お互い卑怯な自分を知っていながらのくだりで、その裏切りが結局自分自身を責める想いとなって存在しているってのが、そのまま裏を返して姉妹の愛情ってのが表れていると捉えられなくもないのだが。それでも本編のものでは、恋愛の難しさってものに偏った表現になってしまっているように思えて。

 朋也くんをどう扱うのかってのが問題となってきそうではあるんだが、春原にあれだけまともなことを言わせるシナリオにしちゃってるんだから、いっそのこと孝之くんばりに貶めてしまっても良かったんじゃないかと思う。

 ぶっちゃけ男の方がこういう修羅場に弱いもんですからねぇ。女ってのは実に堂々としております。それに加えて姉妹な絆ということで、徹底的に杏と椋の強さとしたたかさを描き、朋也くんの弱さと計算できない不器用さを描くのもありかな、と。

 本編はちょっとだけ朋也くんに気を使いすぎている感じ。彼自身の変化(成長とあえて呼ばないおっさんの妬み)は、杏と椋に圧倒されてすべてのできごとが終わったその先でもいいというか。そういう意味では君望の大空寺シナリオでの孝之くんなんかをここに突っ込めばちょうどいい感じ。


 それよりここまでで気になってるのがことみシナリオ。シナリオ担当者が違うのか(シナリオ担当者がテキストまで書いてるんだよね?)、5つやった中で異質なのが目立って目立って。映像と音楽とテキストとをフルに活用するこのメディアで物語書くにしては、ちょっといやらしいなぁと思わせるテキストで。小説でも書いてなさいってテキストって言えば伝わるだろうか。

 ちょいとググってみた感じ、誰がどのシナリオ担当なのかとか分からんかったんだけどちょいと気になる。ちょっとだけね。
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